量を増やすだけが工夫じゃない。やり方を変えよう。

長期的(大切なこと・生き方・姿勢)

あっという間に新年度。

やっぱり、時間は限られている。

だけど、人間にはやらなければならないことがたくさんある。

それを踏まえて、自分の人生の過ごし方を考える役に立つのが、質と量の考え方。

例を踏まえて考えて見る。

例えば、睡眠

自分の人生の時間を考えると、人生の少なくとも四分の一 は、費やさなければいけない。

もちろん個人差はあるが、おろそかにすると必ずつけが来る。翌日のパフォーマンスに非常に大きく関係する。

では、どんな睡眠が良い睡眠か?

量と質

よい睡眠とは翌日のパフォーマンスを最大限に発揮することができるような睡眠のことだと私は思う。

だから、もしもいまの睡眠が日中のパフォーマンスに影響しているならば、睡眠のあり方を考え直す必要がある。

それについて考えるとき、当然大きく量か質かを考える必要がある。

量は、睡眠時間。

質は、睡眠の取り方。

量を確保するのが一番わかりやすいやり方なのは間違いない。しかし、睡眠に費やす時間は、その間なんの生産性も無い。

(寝ている間も考えることが出来るような才能ある一部の人間をのぞいて)

だから、出来るなら、同じ時間でより日中のパフォーマンスを発揮できるような、そういう睡眠パターンを指向するべきだ。

そしてそれが、質の高い睡眠とよばれるものである。

質の高め方

量を増やさないでも、質を高めればいいということだけれども、そんなムシの良い話があるだろうか?

睡眠においては、基本的には無いと思った方がいい。

ただし、質を落とさないようにすることはできる。

そう理解しないと、人間は、睡眠時間を減らそうとする。

そうして、体調を崩すことになる。

では、質を担保するためにはどうしたら良いか?

 

人間の睡眠と日中の疲労感との関係性を把握する必要がある。

ただし、ネットやあるいは書籍を当たっても正しい知識が得られるかはわからない。

睡眠に関しては、まだまだわかっていないことが多いし、そもそも、疲労についての研究も現在進行形であるから、多分にしてわからないことだらけになる。

だから、必ずしも、調べた知識を参考にして行動することが適切とは限らない。

そもそも、必要な睡眠時間には大きな個人差が見られたのだった。

では、質を高めるには、どうしたら良いだろう?

体の声を聞く

睡眠も、疲労もその関係もなんで、客観的かつ信頼性の高いエビデンスが不足ガチかというと、結局、人間の精神という主観的な内容をどのように取り扱うのがいいのかが、わかりづらいからだと思う。

しかし、逆に考えてみると、積極的に主観的に睡眠や疲労について考えてみるのが、有効かもしれないと思えないだろうか?

睡眠時間という量的なものについて考えてみよう。

一般的な、必要な睡眠時間はあるのだから、そこから、睡眠時間を増やしたり減らしたり、しながら自分に必要な睡眠時間を、疲労感という指標を元にして測定したらいい。

疲れが取れないのであれば、それは睡眠時間の不足を意味する。

翌朝スッキリと目が覚めて、日中も集中力を保って過ごすことができたのだとしたら、バッチリ睡眠時間が確保できたと考えて良いのでは無いだろうか?

同様に、睡眠の質も自分であれこれ試すことができる。

睡眠時間を変えなくても疲れが取れる眠り方にはどんなことが影響するだろうか?

寝る前の行動が影響しているかもしれない。

例えば、ベッドに入る数時間前までずっとテレビゲームやスマートフォンなどをつついていたとしたら、どうだろう。交感神経が高ぶってスムーズに睡眠に入ることができないかもしれない。

寝る直前に食べ物を食べると、その消化にエネルギーを必要とするので、眠りが浅くなるという報告も聞いたことがある。

それから、環境面、例えば、布団やベッドが影響する可能性がある。

寝返りが打ちやすいか、汗などをどの程度吸収してくれるか、枕の高さはどうかなどなど。

睡眠の質一つにしたところで、かなりたくさんの要素が影響していることは間違いないので、そのどれが自分の睡眠の質を高めるのかということについて、自分であれこれ試してみるのが重要だと思う。

質を変えるために大切なもの

上記の文章からもわかるように、質を変える時に、自分の感覚を頼りにすることができる。

適切に自分の感覚を参考にすることによって、必要なコストはそのままに、あるいは現象して、自分が得たい結果に意外なほどスムーズにたどり着けることもある。

単純な努力で、量を増減するだけではこうはいかない。

質を変えることには非常に大きな意義があり、そのために、人間の感覚や個人のセンス・感じ方というものはとても頼りにあるし、その重要性がお分かりいただけるだろう。

なぜ質を変えることが必要か

それでもやはり、

「量的な努力でなんとかできるなら、それでいいでは無いか」

と思う人がいることは理解している。

ある意味その通りで、それでうまくいけばそれでもいい。

しかし、質を変えることが必要なのは、投入することができる人モノ金時間をはじめとしたリソースが、必要な問題解決を行う上で限られている場合だ。

そして、今後の超少子高齢社会においては、その全てが限られ、問題が増えるのにありとあらゆるリソースが減少することが容易に予想できる。

したがって、今後、質を変えるという発想を避けて通ることはできないし、常に頭の片隅に置いておく必要がある。

もしも、一つの問題解決の方法しかなくて、そのためには量的なリソースをとにかく投入するという頭の悪いやり方をしている組織や団体、家族などがあれば、それはどーなんだろうと思わざるを得ない。

時代の流れや前提に逆行しているからね。

そして、官公庁やら電通などの企業がそういう体質なのも、一般社会の流れが見えていないという意味でおバカさんである。

優秀な人間の数は限られているのだから、限られた時間で、質を向上することを考えなければならないし、可能であるならば、機械に代替させたり、そもそもその工程を省略するといった考え方が必要不可欠だね。

質を高めるために必要なもの

質を高めるには、どんなことが必要か。

まず、問題設定を適切に行うこと。

これによって、本当に必要なことだけを考えることができる。

次に、現状認識が事実に基づいており、その情報をたくさん持っていること。

例えば、精神疾患(例えば、うつ病や統合失調症)で、認知が歪んでいると、うまく感覚をつかめないことがある。主観と客観との結びつきが解けた状態というか、世界をうまく把握できなくなる。

そのような状態の下で、何を考えたところで無駄で、だからたとえ精神疾患以外でも一時的な混乱状態で物事を考えて処理しょうとする時点で、あんまり意味はない。まずは、落ち着いて、センサーが正しく機能するようになんらかの方法でキチンと整えなければならない。

最後に、適切な考え方の枠組みを学ぶこと。

上記のようにきちんと、整った感覚で拾い上げた事実がどれだけ蓄積できているかはとても大切。

なぜなら、それは、考え方がいくら正しくても、間違った答えが出てくる可能性があるから。

しかし、逆に、きちんと事実の蓄積がうまくいっていたとしても、考え方が間違っていたら、処理を間違えることに他ならないから、結局大間違いな結果がかえってくる。

これではいつまでたっても質は高まらない。

考え方の枠組みをたくさん持っておくことで、自分があることを問題解決することを考えるときにどのような情報を集めればいいかは自ずと見えてくるようになる。

そうなると、問題解決を行うプロセスの時間が減少し、「問題解決を行う(質を高めるための)プロセス自体の質」が向上することになる。

これができる人とそうでない人の間には、自分の自由にすることができる時間の量や、同じ時間の中で作り出される生産物や体験などに、格差といって良いほどの差が生まれる。

余談だけれど、格差社会が、このような意味で自業自得だと言われているのだとしたら、非常に救いがないので、嫌だなあと思う。一方で、問題解決を考えるときに量にこだわりすぎる人が日本人には多いということのある種の証明のようなものなのかもしれないとも思う。

この記事のまとめ

睡眠の話から、一般化させて話をした。

なんとなくでも、この記事で伝えたかったことが伝わったとしたら、とてもうれしい。

なぜなら、行動の質や、問題解決のためのプロセスの質が高まることは、単純に量的に補うよりもはるかにその人の人生の質を高め、その人自身の人生だけでなく、その人の周りの人生も豊かなものに変えることがわかっているから。

そして、格差社会に立ち向かう一番簡単な方法は、じぶんの人生の質を向上させることを諦めないことだ。

そうすることで、必ずリソース不足に突入するこの日本という国の中でも、死ぬまで幸せに生活することができる可能性が高まる。

質を高めるという考え方を持っておくことは、人生を豊かにしてくれるという意味において非常に得なことなので抑えておきたいと思う。


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