ネットから得られる知識だけで職業につけるか?勉強がネットで完結したら素晴らしいね。

そのうち使って欲しい(おすすめ・習熟・学習)

人類はインターネットの登場で、ある程度の情報であれば気軽に楽して手に入れることができるようになった。

googleに、文字検索を使って尋ねれば良い。

さすれば、wikipediaが答えてくれるだろう。

でもさ、その情報ってどっから来たん?

ソースどこよ?

ネットを活用していると、自分に驚きを与えた情報、変だなあと思った情報に出会うことがある。最近だと、「時間結晶」なるものが生成できたという記事。なんだそりゃ?と思って、報道のページだけでなく、その大元の情報についても当たってみた。

こんな感じで、その情報の出所を特定してみようとしたことはあるだろうか?

それが「ソース(情報源)どこよ?」である。

インターネットから情報を得る上で、基本になる技術だ。

wikipediaで言えば、各記事の下の方に出典やら、引用先が載ってるから、それを辿っていけば、その情報の元になった情報にたどり着くことができる。

だがしかし、その情報を裏付ける情報があったからといって、果たしてその情報は正しいと言えるのか?

wikipediaで言えば、「一次資料」汚染という斬新な言葉がある。

なんの加工もしていない生データから、素人が判断を下すのは危ないという。

だから、実はwikipediaの情報は、専門家がきちんと情報を収集したり、研究をした後に出て来た精製物を基にして記事を書くように推奨されている。

単純な実験データや単純な観測から結論を断定することはできないということが分かっていれば違和感のない考え方なんだけれども、普通は変に思えるはず。

だって、大元のナマの情報の方があてにならなくて、その情報とかを使って専門家が書いた情報の方があてになるというのは、なんだか逆説的というか、変な感じがしないだろか?

でも、生データを扱うには、どこからどこまでがノイズなのか、切り取って扱うべき情報はどこからどこまでなのかということがきちんとわかっていないといけない。

そして、この時にわかっていないといけないことがわかっている人のことを、人は専門家と呼ぶのです。

あなたは、その情報の本質をきちんと見定めることができるでしょうか?

もし、見定めることができるなら、専門家を名乗っていいし、ネットで情報を収集するセンスがあるし、ひょっとしたら、ネットの情報を基にして自分で勉強ができるし、なんなら、自分の独自の理論体系を構築することだってできてしまうかもしれない。

逆に、自分にソースどこよ、探すうちに、生データをとって都合のいい結論を導き出すための道具にしてしまっていないか。などなどの懸念が、「一次資料」を使って文章を書くとき、情報を収集するときにはある。

そこまで含めての「ソースどこよ」であるわけだ。

繰り返していくと、信頼できる情報源がある程度見えてくるし、その情報源となった情報を作成した人がどんな人間なのかという情報も集まってくるから、その辺でも信頼性が図れるようになってくる。

仮に信じてみる

独学ではこれって結構大切なことだと思う。

とりあえず、調べた情報を飲み込んでみる。

そして、

「もし、この情報が正しいなら、あれはこうなるはず」

と思って、次の事象について調べてみる。

それを繰り返していくと、仮に信じてみたことがどうやら確からしいということがわかる。

もしも、こうなるはずと思って調べたことがそうでなかった場合には、その大元が間違っている可能性がある。

つまり、仮に信じてみた内容がどうやら嘘っぱちってことを意味するかもしれない。

この仮説検証に似たプロセスで調べごとを確かにしていくことは、石橋を叩いて渡るのにも似ているようです。

教えてくれる先生も教科書もない領域を切り開いていく人には、絶対に欠かすことができない才能が、この仮説検証だと思う。

それを繰り返していると、自分の知識量が増えて、多角的に検証できる材料が増えてくるから、そのうちしっかりと検証しなくてもある程度、自分の直感で情報の真偽がわかるようになってくる。

試行錯誤

上記のようにして増えた情報を、足したり引いたりして、新しいアイディアを思いつく。

アイディアは、知識量が増えて自分の自分のやりたいことの方向性が見えたら勝手に降ってくる。

降ってきたら、それを実現するために必要なことを調べて、実行してみよう。

失敗したら、何度でもやり直す。

成功するまで続けよう。

そのうちできるようになる。

記録

試行錯誤の結果を、きちんとなんらかの形で記録しておこう。

自分が振り返って、次の何かに生かすために。

同じ失敗をして、時間を無駄に過ごさないために。

完結かつ、理論的に自分の思考が辿れるように記録しよう。

evernoteなどオススメですよ。

あとで辿りやすい。

出力

記録がある程度蓄積したら、整理して世の中に真偽を問おう。

自分の学びが果たして正しいものであったのかどうかについて明らかにできる。

出力の場所として、幸いなことにインターネットがある。

価値があるものが、アウトプットできたならば勝手に拡散していくし、もし間違っていたとしても、自分では気がつくことができなかった、自分のまちがいに気がつくことができる。

出力によってきちんと成果の確認をしなければ、どんなことも学んだ意味はないと考えるのが適当かと思う。

ある程度の成果が認められれば、またそれが経営者の目にとまれば、晴れて就職というか職業に就くことができると思われる。

弱点

インターネットでの学習は、資格系の勉強ではひじょーに効率が悪い。

なぜなら、資格問題の出題元になるテキストは決まっているからだ。

例えば、公立高校の受験問題は、中学校の教育指導要領に則ったもので、その範囲内で説明がつくものでなければならない。

そのテキストが聖書であり、そこに書かれていないことは出題されない。

まとめ

インターネットを用いて勉強することは、暗中模索というか、固まっていない世界というか、固まっていないことがいいことっていう内容について勉強することには向いていると思うんですわ。

ユニークさが求められたり、オリジナリティーが求められる、正解のない世界について学び続けるのであればインターネットは非常に強みを発揮するだろう。

そして、そういう世界は自分で切り開いていくことができるので、まだ誰も競合する相手がいないわけで、何も就職するだけが人生じゃないし、起業もあり得るわけで、低コストで面白い人が出てこれるようになるといいなあ、と思ってこの記事を書きました。

そうなったら素晴らしい。

誰かそうなってくれ。


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