お金持ちや技能持ちは条件次第で海外へ行く理由。グローバリズムで、集団への帰属意識は必須ではなくなったから。

すぐに役立つ(ライフハック・実践・知識), 長期的(大切なこと・生き方・姿勢)

読んだ。

「経済的に好条件なので海外に行きます」- 外国の大学へ移る学者と、タックスヘイブンに生活拠点や本社を移す高額所得者や大企業に差はある?ない? – 見えない道場本舗

これは良い問い。みんな考えるべき。

回答

違いはないない。

愛国心がない。ていうか、愛がない。

悲しいけれど。

以下蛇足と思って読んでください。

強者のポジション

別に、強い人間やら企業には、所属先なんてどうでもいい話なの。

どこで商売したり、生きたりしても生存に伴うリスクに違いがないなら、その他の条件がより良いところに行こうとするのは別に不自然じゃないよね。

自然だよね。

弱者はその事実から、目を背けたがる。

何より私が直視したくないですしね。

弱者にとっては、負の影響がでかすぎる。

よらばたいじゅの影

虎の威をかる狐

言い方はなんでもいいけれど、世界的な人材市場からすると私たち日本人の価値はほとんど大したものじゃあなくなってきている。

日本の教育が古いからしゃーないんだけどもさ。

それでも、豊かな生活ができているのは、うまいことポジション取ることができている大企業とか、これまで地道に研究してくれていた研究者とか中小企業の持ってるありえない技術力とか、そういう大きなものの庇護を知らず識らずに受けてる、それだけのこと。

大抵の日本人には、もはや市場価値はそんなにない。

それが証拠に、景気が回復しても末端にお金が流れていかない。

市場を決定している巨大な存在からしたら、そんなに繋ぎ止めておく価値がないか、そもそも巨大な存在のふりをしている企業自体の価値が消耗しているかのどちらか。

グローバリズムの影

グローバルになるってことは、勢いよく流れこんで、勢いよく出ていくってこと。

どう生きようが否応なしに競争にさらされるので、弱者には生きづらい世の中に自然となる。

昔は自然と村社会、閉鎖的な社会になってたんだよね。守り、育てることに主眼があったからね。単位が家族で、弱いものをいかに守って、今後につないで継続させるかってところに主眼があったからね。支配される代わりに守られてた。

まあ、今も、支配される対象がより大きくなっただけとも言える。

国とか企業とかね。だけど、かなり自由でオープンな世の中にはなっているし、その代わりに守ってくれないし、なんなら労働力は使い捨てるもの。

自由の影

っていうか代償と言うべきか。

自由であると言うことは、誰もが自分自身の立場で好き勝手選べる権利を有するってこと。

だから、消費者も企業も好き勝手選ぶ。全てはその結果。

自由で、競争な世の中なんだから当然でしょう?

あなたたちもその原理で普段、商品を選んでるでしょう?

より安くて、品質の良いものを選んでるでしょう?

優秀な人材や、優良な企業の流出は、私たちの国が選ばれなかったという、単純にそれだけのことなのではないかしら。

そこに愛はない

閉鎖性を排除して、開かれた世界を推し進めて、そういうことを推し進めた一つの到達点が今ここのこんな世の中なのよね。

とても理性的で、それゆえ脆い印象。

ちょっと人間的な弱さが入り込むと、すぐに崩れてしまう。TOSHIBAみたいにね。

なんで脆いかって、非合理性を拒絶してるからだよね。

それも無意識的にね。

そこに愛はない。

愛ってのは、執着し、縛り、縛られ、こだわるってこどだからね。

そう言う構成要素を、古いものの象徴として切り捨ててきた。

でもさ、人間の人生の喜びってそこにあると思うんだけどなあ。

もう今更そこには戻れない。

のかな。

この記事のまとめ

なんだか抽象的な話になっちゃったけど、クサいことも自覚して、カッコ悪いけれど、書きたいことを書いてみた。

そんなクソポエム。

弱者や強者であることはそれぞれ悪いことではないけれど、でもまあ、お互いに信じ信じられる関係というか、私たちはちゃんと強者を信じて裏切られることに耐える強さを持たないといけないし、強者は自分の庇護すべき領域を自覚してそれを全うする責任と信頼に応える強さを持たないといけない。

まずは、てめえの根性と行動を自覚するところからかな。お互いのせいだと思うよ。

世の中はとても便利になったが、なんだかとても子供じみた世の中になってしまった。

とにもかくにも、子供達に背中で語れる大人に私はなりたい。


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