危機的状況は何かを変えるチャンスである。

長期的(大切なこと・生き方・姿勢)

「なにかがまずい」

そう感じた時には手遅れだった。

というのが、水でゆっくりとカエルを煮ると死ぬという逸話に象徴されています。

「真綿で首を絞め」るとか、この手の日本語を上げていけばきっときりがないと思います。

 

同じ意味の言葉がたくさんあるということは、さまざまな機会でそういう言葉を使う場面があるということであり、時代や社会背景などの状況を異にしながらも、普遍的に人間にはそういう側面が強くあるということだと思います。

人間が、危機的状況になかなか気が付くことができないのはおそらく、人は自身がそうした状況にあると認識するのを嫌がるからでは考えています。

本当は、違和感や破滅のリスクに気が付いているにもかかわらず、「大丈夫」「いつもどおり」など、気づいて気づかぬふりをする、そういう側面が人間にはあると思うのです。

危機的状況です。

そして、現在。日本社会。

これを危機と呼ばずに、何と呼ぶ。です。

正直、マジでもっと焦る必要があるそういう状況です。

ですけど、朝のニュース番組とか見てるとなんともまあ、平和なものではないでしょうか?

メディアはもちろん、国を始めとした行政、官公庁はもっとヒステリックになってもいいフェーズだとおもうのですが、そうはなっておりません。

その理由は、冒頭で挙げた人間の特性と、日本人の考える力が社会の動きに追いついていかない現状に求めることができると思っています。

つまり、

①現状から将来を予測できていない。(将来の危機的状況が予測できない)

②まだどこかに希望はあると思いたい

の2つだと思います。

結構前者は大きくて、やばさが実感できないひとが世の中の人の割合として多いので、目に見える影響としてでてこないのかなあっていうのが一つ。

それが、後者の事なかれ主義の偉い人たちの言動と相まって、いまのところは社会的な影響があまりなくてすんでいるのだとおもいます。

しかし、そんなことはどうでもよく、とにかく大切なのはいまの世の中は危機的な状況にあるということです。

これは間違いないです。

その根拠はいったいなんでしょうか?

社会の投資の先細

何事も投資をしないと、成果を上げることはできません。

そういう意味では、あえて誤解を招く言い方をすれば

社会保障費=「金持ちの道楽」

なんです。

それはこういうことです。

社会保障費というものは、理念・理想はありつつも、実際にはその実態は上がった成果の再配分であり、つまり成果なき社会に再配分はありえず、社会保障もあり得ないわけです。

生きる権利は、いまや隣人ではなく国の資本配分システムに依存しているので、国はその原資となるお金をどこかしらから調達してこないといけないわけです。

で、現在そのお金は準備できている。

だから社会保障が成り立っています。

つまり、社会保障が成立するのは、今の日本が形式上余裕があるからです。金持ちじゃないとできないこと、なので、そういう意味で金持ちの道楽、です。

道楽ではなく、義務というべきかもしれません。本来は。

しかし、金持ちが没落したと考えたとき、おそらく一番に手を付けられるのが社会保障費です。

義務であるなら、たとえ没落しようと最後まで責任をもって、そこの財源は守り抜かなければなりませんが、しかし、最近の年金の受給年齢の引き上げに象徴されるように、国としては社会保障費を削りたいと考えていることは明白です。なにせ、後述するように半ば没落していっている現状ですから。

というわけで、「削れるんなら、それは道楽です。」という今の日本の国に対する皮肉も込めてこういう書き方をしています。

ともあれ、社会保障費が削られようとしていることは事実であり、削られるかといえば、成果があがりにく世の中が到来しようとしているからです。上がってくる成果に限りがあるために、投資もどんどん先細りになります。

よりくわしく見てみましょう。

新しい成果を生み出すのは投資

今の日本や、日本と関係のある国は基本的には資本主義を主軸として成り立っている社会や経済を基盤としているので、日本という国が存続できるかどうかは、金回りや金の持つパワーに裏付けされています。

金には3つの使い方があります。

消費、投資、浪費 です。

国を存続するためには、どのようなお金の使い方が必要でしょうといえば、わかりきってることを聞くなと思われるでしょう。

投資です。

これは、医療や生活インフラの整備、教育環境の充実など、人間が経済活動を積極的かつ効率よく行うことができるような環境を整えることです。

かつて、明治の日本は積極的にこれを行い、江戸時代という社会システムから明治へと国家を存続させることに成功しました。

江戸時代からエリート層には幅広く、人的な投資が盛んに行われていたことに加えて、社会が近代化する流れに乗って、さらにそのことが促進されたことが、大いに社会の発展に役立ったと考えられます。

明治の世の中は、権力・財力・暴力がバランスよく世の中の人の動きをコントロールしていました。

社会が豊かになることで、人が増えることも期待できたので、教育にもますます力が入れられ、さまざまなインフラも整備され近代日本の基盤をなし、経済的な発展の下地を作ることに成功しました。

これは、エリートがキチンとその他の人々を動かす力をもっていて、それが社会全体としてみたときにプラスの力として働いていたからです。それが、プラスに働いたことは間違いありません。

船は、一人の船頭が動かしたほうが、混乱なくうごくものです。

昔は、ですから、エリートという結果の出し方を知ってる人が、ふつうの人をシンプルに動かすことができていたというのも社会を発展させる大きな力になっていたように思います。

加えて、力を発揮するべき課題が、単純かつ明確だったことも大きいとおもいます。

たくさん作る、とか、良いものを作る。ということが、そのまま社会的な成功につながっていたことも大きな要因でしょう。

とにもかくにも、投資すれば投資をするだけリターンがかえってくることが見込めるなら、だれもがこぞって投資をする、そんな世の中であっことと思います。

そうした投資が、現在まで続く近代国家の基盤を築くことになったことは言うまでもありません。

シンプルな投資が、シンプルに成果を生み、それによって国全体としての豊かさが形成されていったのです。

お金の価値を担保するのは人

翻って、現代社会。

人を動かす力がどの程度あるかが、そのお金のもつパワーというか価値の本質です。

現在、日本円で人を動かすことにいったいどれだけのコストが必要になることか。

大して能力もない人間を働かせるのに、膨大な(かつ経済的視点から見ると無駄な)教育コストと、現金支出が必要になっています。

と、諸外国のお金持ちは判断するでしょう。

「コストに見合う人材は、一握りの人間だけだ」と。

たとえば、大体バブルの時代に、身の丈に合わない消費文化に触れたり、いつまでも非合理的な組織運営のまま企業活動をおこなってきたりといったひずみを正さないままに、いろいろなことを推し進めてきた弊害が至る所に噴出している。

これまでは、そこそこその組織体質などにも、安定性というアドバンテージがあったものの、ITが多用される、ありとあらゆる場面で使われるという意味では乱用されているといっても過言ではない今の世の中では、あきらかにデメリットしかなくなってしまいました。

完全に、産業や経済の構造を成長させるにおいては、お荷物になってしまっているのです。

お金の価値を担保する人的資源の致命的な枯渇を裏付けるように、現在社会に本来必要な投資がうまく行われていない、そんな現状が散見されています。

 

数字の大きさの割に、さして人を動かす力のないお金は、お金がお金を生む能率が悪いので投資の対象になりません。

この日本円で人を動かす、に必要なコストは今後ますます増大します。

日本円が長期的に価値を下げる理由

なぜか。

その予測の前提として、少子高齢社会がその度合いを深めることにあります。

少子社会になると、成人になる人よりも後期高齢者となる人が増えるので、働き手の人数がへります。

高齢社会になると、認知症を罹患する人の数が増えます。高齢になればなるだけ、認知症を発症するリスクは高まるからです。

認知症の方を介護するのは、働き盛り世代です。

お金のために、お金で動き、お金を生み出す、日本円の持つ経済力の根拠となる世代です。

ただでさえ、減っている働き手の数が、認知症の方の介護のためにより減少します。

労働力は希少となり、労働力を動かすために必要な日本円は高騰します。

日本円は、ほかの通貨と比較して、大して人を動かすことができなくなります。

人を動かすことができない貨幣に価値はないので、日本円の価値が低下し、財政が極めて厳しいものになり、社会のセーフティーネットはことごとく崩壊するでしょう。

そこで、無視することができない要素が、認知症の方の介護をはじめとした社会保障費がどんどん増大すること。

それによって、借金という裏ワザがあるけれども社会的な信用が弱ればハイリスクであり、原則として歳入は限られているため、行政が動かすお金に占める投資割合の先細りにつながり、投資がなくなれば次世代の元気な経済活動のもととなる人口の問題やら、教育の問題やらが解決しないので、ますます歳入が先細る、という悪循環に陥っていくことは目に見えているわけです。

そんな通貨を持っていたら、価値が目減りしてしまうので、日本円はますます売られるというわけです。

このままいけば、日本円はどんどん価値を下げていき、日本の財政はうまく回らなくなり、社会保障制度は崩壊し、その上に生活を営んでいる人々は、困窮さらには死に至るという未来がまっています。

財政が破たんすると、行政がどうなるかというと、北海道の夕張市みたいになります。

ほかの地域でもやっていけるような優秀な人材や、若い人材からどんどんほかの場所へ流出していき、残るのは身動き取れない人ばかり。増えるのは負担ばかり。

いったい何をどうしたらそうなるのかという世の中が待っています。

少子高齢の前提が撤回されない以上、既定路線です。

確定事項です。

これが危機的状況でなくて、ほかの呼び方ができるなら教えてもらいたいです。

日本は、金がなかったら、資源不足で困窮するという前提も追加しますか。

日本の食糧自給率って、学校でやりますよね。

どんなもんでしたかね。

日本のお金に価値がなくなるということは、海外からの買い付けに支障がでるということですからね。

飢え死にするひとが、続出する、そういう国になるでしょうね。たとえば。

やばいと気づいたら、変わろうよ

危機的状況は、実は、変わる機会です。

何もなければ、多くの人は変われません。

人が変わらないのに、政治家が変われば世の中が変わると思ってるひとは、頭がおめでたいです。

政治家ができるのは、せいぜいしくみの整理くらいで、社会全体の成果の総量を一気に底上げすることもできません。

できるのは、構成員人一人がきちんと自分の意思を表明し、現状と違う流れをつくる具体的な行動を起こすことです。

現在の既定路線は、少子高齢に端を発した問題なので、その周辺を整理すると回避できそうですね。

そこで、クリエイティビティが必要になると思います。

世の中が何も変わらないと嘆くより、自分の身は自分で守れるように、しっかりと創造性を発揮して日本の外側から物事を眺める人たちから見ても価値を発揮できる人間になることや、自分と周囲の人間の行動を変化させるようなアイディアや仕組みを作り出したりすることができる。

あるいは、自分の考えを誰かに伝えて、共有する。

それによって、あらたな枠組みや、対策を考えるなど、そういうクリエイティビティが必要です。

それに、この状況を逆転させることができるようなビジネスや事業を展開できたとしたら、おそらくかなりの社会的な成功を収めることができるはずです。

これを読んで、今ある危機に気が付くことができた方は、ぜひとも自分が思う、「こうしたらいいんじゃないかな」「こういうことが必要なんじゃないかな」というクリエイティビティを、自分自身と社会のためにどんどんと発揮していっていただきたいと思います。


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